ふるさとの言葉
ごくごく、たまに。
車で移動中、ラジオを付けることがある。
車で移動中、ラジオを付けることがある。
FMで入るのはE-radio(言わずとしれたFM滋賀である)か αステーション(FM京都)かNHK-FMの三局。
民放2局が喧しいことが多いので結構NHKに合わすことが多い。けどクラシックの番組は眠たくなるので、少し敬遠。
でも、どのFMも概して面白くない。
そんなときは、AMに合わす。
これが結構ハマるんだな。
AMで面白いのはNHK。何が、ってあの淡々とした調子がいい。気分によってはものすごく耳にすんなり入ってくる。
そういえば、前の職場ではひがな一日、トラクターに乗りっぱなし時がままあった。そんなときはAM三昧。
<注(都会人の方へ):今の大型トラクターは冷暖房完備でラジオ付きが標準。CDチェンジャーを付けてる農家もいるくらいだ。さすがに、カーナビを付けてるなんて話は聞いたこと無いが。←付けてどーする。)
そう、あのトラクターののんびり加減と語り多きラジオの波長が妙にマッチしてた。がちゃがちゃした流行音楽(ヒットチャート)を聴いてるよりも、うん、いい感じ。
民放なら、地元はKBS滋賀。親玉がKBS京都なので放送の8割は京都発。滋賀オリジナルの番組はちょっとしかない。面白い番組もあるが、あまりにも京都ローカルで分かりにくい番組も多く、すべてが楽しめるとはいえない。
で、どうにも飽き飽きしたときは、「東海ラジオ」か「CBCラジオ」に合わすのだ。
ところで
ぼくの実家は30年ほど前に開発された新興住宅地のなかにあり、生まれ育った郷里(ふるさと)ではあるが、あまり「里」という感じはしない。家、家、家の住宅街である。
家に帰っても、ああ帰ってきたなあという感慨より先に、まーた変わっちゃったよ、という景色の変化に目がいく。しかも、あの店がつぶれたとか、あんな店が出来たとか、新しい家が建ったとか、そういう「景色」の変化である。ここ数年は愛知万博のために加速度的に変化を遂げた。
そういう「ふるさと」ではあるが、変わらないのが「言葉」。
AMのラジオを名古屋圏のチャンネルに合わすと、聞こえてくるのはローカルの司会者の声「~だもんで。」「~言っとってかんわ~」「しとるがね。」エトセトラ。
懐かしい言葉の持つ、空気感。
これがほんとイイ。
名古屋弁の独特のテンポとイントネーションに心が浮き立つ。例えこの余呉に住み続けても、この感慨だけはずっと引きずるんじゃなかろか。
そんなことを書こうと思ったのも、この間、こんな携帯ストラップをとある「素敵な」女性から頂いたモノですから。。。
++にしてもよくこんなもの見つけたな。