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野良師のつぶやき
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「野良師のつぶやき」

名古屋雑感

昨日の夜は名古屋に住む大学の後輩宅にお邪魔しました。
お米の配達を兼ねての訪問です。
ありがとうございまーす!

鍋を囲んでしばし談笑。
「常夜鍋(じょうやなべ)」という大阪の定番だそう。
ぼくは初めてです。

毎日食べても飽きない、ということから「常夜」という名。
確かに、これはおいしい。
やっぱ、鍋はいいね。

で、今日はうってかわって名古屋の市街地に買い物。
本を物色したかったのと、靴を見たかったので、町に繰り出した。 大きな本屋さんに行った。時間がたつのを忘れる。 滋賀湖北に本屋さんはあっても、一般的な本が多い。品揃えにメリハリがない。 だから最近、ネットで本を買うことが増えたのだが、けれどもやっぱり本との出会いは本屋が面白い。 ネットは「自分の探したいものを見つける」には適しているけど、「モノとの偶然の出会い」というのには欠けている。 本屋さんで背表紙を目で追いながら、おっ、と思う本を手に取り、ぱらぱらとめくって購入を決めるまでのプロセスが、やはり楽しい。 特に古本屋さんで、これぞ、という出会いがあると、それはまさに運命を感じさせるもの。 ぼくもこうしてネットを多用する生活をしているけれど、 最後に強いのはやっぱりアナログな関係性だと思う。 そうそう、それでね。 名古屋の町を歩いていて思った。 、、、みんな目を合わせてくれない。 田舎を歩いていると、よく人と目が合う。 集落の中を歩いていて、向こうから誰かが来ると、必ず目が合う。 あたりまえに会釈をする。知らない人でも、だ。 笑顔が少し見えると、こんにちは、と声も出る。 ところが、この住宅街で犬の散歩の人とすれ違っても会釈すらない。 こんにゃろと思って無理やり目線を合わそうとしても、かわされる。 ましてや、雑踏のもしくは地下鉄の中の人たちはみな他人に一切関心を持ってない。 どちらかというと視線は下に落ちている。 そして無言だ。 そりゃ町では当たり前だ、普通だ、という。 ぼくも高校生の時までは「当たり前」だと感じていた。 違和感すら感じなかったし、他人と自分との間には「壁」があるものだった。 人が密集するなら、そうしなければ身が持たないのかもしれない。 でもでもでも。 他人と関わることがストレスになるのも分かるけど、他人と一切関わらないように気を使うこともストレスになるんじゃなかろうか。 だからヘッドホンしてみたり、目を閉じてみたり、する。 ただし一回だけ、それとは正反対の出来事があった。 東急ハンズの昇りのエスカレーターで、数段上に母親とおぼしき女性に抱かれた推定一歳半の男の子がいた。抱かれているから、彼の目はぼくを見下ろす状態となる。 なぜかぼくに興味があるらしく、こちらをじーっと見ている。 ぼくもついつい見てしまった。 ふと微笑んだら、微笑み返された。 母親も気づいて僕のほうをみるが、盗み見るようにするだけで目はあわせてくれない。 子どもは絶えず見続けてきた。 何を訴えたいのだ、きみは?と思いつつ、 なんとなく期待されているように感じて、また微笑んでみたら、さらに大きな笑顔を返してくれた。 たったそれだけの出来事。ほっとした瞬間。 これがコミュニケーションの本質のように思った。 悪意があったらこうはいかない。 不信感があってもこうはいかない。 田舎と町。子どもと大人。その差はなんだ? ぼくが考えすぎなのかな。 長文になってしまったよ。

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