mixi  twitter   お問い合わせ

田んぼ舍 WEBSITE :
野良師のつぶやき
weblog

「野良師のつぶやき」

余呉トレイル ー行市山ー

余呉トレイル、開拓の巻。今回は行市山(ぎょういちやま)。

余呉町西側の町境に位置し、敦賀市に接している。この山ももちろん「分水嶺」。余呉側に降った雨は太平洋、敦賀側の雨は日本海へ注ぐ。

 

さてさて、時を遡り戦国時代。賤ヶ岳の合戦をご存知であろうか。織田信長亡き後、その後継を巡り、柴田勝家 と 豊臣秀吉 が争った戦である。その舞台が、ここ余呉町。

ごくごく簡単に書くと、、、信長が死んで半年と少しした頃の春先、旧暦3月のこと(およそ5月頭らしい)。

▼北陸から攻めてきた「勝家」は「柳ケ瀬山」からこの「行市山」周辺に陣取った。

▲南から攻めて来た「秀吉」は「木ノ本の山」から「賤ヶ岳」あたりに陣取った。

(このまましばらく向き合っていたひと月の間に、それぞれの山の上には城ができていたというから驚きだ。)

 

そうこうするうち、新緑が濃い緑に変わってきた。(水田がどれだけあったか分からないが、ちょうど田植えの時期だろうか。地元民はその戦の成り行きをやきもきしながら見守っていたに違いない。)こう着状態が続き、長期戦になろうかという頃、岐阜で起こった一悶着を収めるため、秀吉が美濃に向かった。そのスキに、勝家側が動く。

 

秀吉が戻ってくるまでの間、勝家軍は賤ヶ岳陥落直前まで押しまくっていた。けれど、秀吉が多勢を率いて帰ってくるとたちまち形勢逆転。勝家は福井の居城まで退却を余儀なくされ、結局そのまま自害したそうな。

もしも勝家が勝ってたら歴史はどうなってただろう。「賤ヶ岳の戦い」ではなく、「行市山の戦い」って言われて名を残していたか?はたまた、福井が栄えたか・・・。歴史の楽しみは、こんなふうな夢想にもある。

ともかく。勝家の家臣のひとり佐久間盛政が砦を築いたのが、この「行市山」だそう。

今回歩いたのは、その佐久間氏が賤ヶ岳を攻めるのに使ったというルートの一部。西浅井町と余呉町との境の尾根を歩き、道を開いた。今後のトレイルの目玉となりそうな、なかなか良い道。新緑や紅葉が期待できそう。

写真は山頂からの眺め。南南東方面は、薮が切り払われていて、眺望抜群。ここから豊臣方の動向を眺めていたに違いない。ちなみに、左手一番奥の山が伊吹山。真ん中右寄りの富士のようなきれいな山は、小谷城(小谷山)。

・・・もう一つ、まめ知識。
「織田信長」「豊臣秀吉」「柴田勝家」。この人たち、みな尾張の出身です。日本に名を残す武将たちですが、信長は安土、秀吉は長浜(今浜)に、城を築き滋賀を舞台に大活躍しました。名古屋出身のぼくとして、とても親近感。ちなみに勝家は、ぼくの生まれた町のすぐ近くで生まれてます。ますます親近感。

*****

今回は草刈り機も大活躍。おつかれさまでした!