「水になった村」
ダムの底に我が家が沈むと決まったら、人はどんな表情をするのだろう。
岐阜県は揖斐川の上流に「徳山ダム」というバカでかいダムができた。
できた、と言っても今はまだ試験湛水中。昨年9/25から水を注ぎ始め、徐々に水位を上げ、ダムの強度を調査しているらしい。
ダムの建設が決まった当時、徳山村には1600人ほどの住民が暮らしていたそうな。で、命令により、全村離村・下山が決まる。
けれども、何家族かの当地で生まれ育った老人たちはそこで暮らし続けた。その方々の表情を追いかけたのが、この「水になった村」という映画なのです。
岐阜県は揖斐川の上流に「徳山ダム」というバカでかいダムができた。
できた、と言っても今はまだ試験湛水中。昨年9/25から水を注ぎ始め、徐々に水位を上げ、ダムの強度を調査しているらしい。
ダムの建設が決まった当時、徳山村には1600人ほどの住民が暮らしていたそうな。で、命令により、全村離村・下山が決まる。
けれども、何家族かの当地で生まれ育った老人たちはそこで暮らし続けた。その方々の表情を追いかけたのが、この「水になった村」という映画なのです。
その地で生まれ育ち、夫婦仲良く暮らしてきた生活が映し出される。
監督さんの人柄もあるのかどうか、出てくるおばあちゃん、おじいちゃんの表情が柔らかい。ほのぼのと暖かい。
そして、その暮らし。
山や里の幸を活かして暮らす。
「生活」とは生かされることであり、活かすことであるんだなあ、きっと。本質的には。
この作品には「食べる」場面が頻繁に出てくる。どれもこれもうまそうだ。で、さらにばあちゃんの笑顔が加速する。不覚にもこっちまでニヤニヤと誘い笑い。真っ暗な映画館の中で、ニヤつく男ひとり。怪しきことこの上なし。
農業をしている、とぼくは言う。
でも、こういう映画を観ると、農業って何だ?と問い直すことになる。
身の回りにある生き物を食う暮らし、その生き物ってやつをはぐくむのが農ってやつなのか、と思うが、でも現実は経済生活としての農業がぼくの目の前にあるわけだ。
無農薬とか有機栽培とかそういう言葉は商売上で欠かせないけれど、たとえば徳山村で続いてきた(もちろん余呉でも続いてる)生活にはそんな単語は必要なく、生き物に手入れをしているにすぎなくて、それがとてもたくましく映る。
たくましい生き方をしてるひとの笑顔はやさしいのかなあ。
この映画には、ダムに対する愚痴の類は出てこない。編集されているのかもしれないけど、少なくとも、ダムに対して恨みを持っているような表情は見て取れない。それがまた切なさを誘った。
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滋賀では今のところ上映の予定は無さそうです。
ぼくは大垣のコロナシネマで観てきました。
(上映日時はこっちの方が見やすい。)
【追記:上映期間は10月中旬くらいまでらしいです!】
映画「水になった村」のサイトはこちら。