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野良師のつぶやき
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「野良師のつぶやき」

福島に行った[3.津波の爪痕もある]

放射能の危険はだいたい把握していたつもり。そういう恐怖や放射線を復習しながら車を走らせていた福島旅。


さて、警察官に南相馬への道を尋ねて、再出発。
前頁に書いた例え話ーもしも放射性物質が星のように輝く粒子ならーを適用するなら、いま、この道路や田んぼや草木は、きっとキラキラときらめいているに違い有りません。そして、そのキラメキが強ければ強いほど、高エネルギーの放射線が放射されているのです。

飯舘村の棚田。丁寧な草刈りが行われた跡。でも、ここにも見えない放射性物質が・・・。

飯舘村はとても元気で活発な自治が行われていた村だそうです。村民が自分たちの村に誇りをもち、合併をしない道を選びました。村の文化や資産を大切にし、 村営の本屋さんがあるということを聞くと、とても穏やかでいい村なんだろうなと(ぼくが本好きなせいもあって)、強く思います。

 

 

「までいの力」という本が、原発事故後に発売されました。いい本です。読めば読むほどかつての飯舘村に行ってみたくなりました・・・。売上の一部は飯舘村の復興義援金に充てられるとのことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いわきナンバーや福島ナンバーの自家用車や営業車に囲まれながら、滋賀ナンバーのぼくたちは東へ向かいます。飯舘の中心部は店も閉まり(中の商品はどうやらそのまま)、閑散としています。ここに住んでいた方々、働いていた方々は、みなどこかに避難しておられるんですよね。

途中、トラクターにモア(という草刈り作業機)を付けて、作付けしなかった田んぼに生えてしまった草を刈っている光景に出会いました。一日だけ作業のために帰ってきているのでしょうか。田んぼが広がる光景で、ただ一台だけ見えるトラクターが淋しげです。

走るにつれて、だんだんと車の台数が増え、そしてついに開いている商店が見えてきました。人が外を歩いています。線量計で測れば、針はきっと反応するだろうけれど、ここはまだ人の生活が許されています。住まないという選択肢と住み続けるという選択肢の2択とはいえ、一応は住む選択が残されている地域です。

究極の選択、なんていう言葉がありますが、これもまた究極の選択なのでしょうか。お子さんのいる家庭は引っ越されている方がほとんどかもしれません。真昼間だからかもしれませんが、この地域では中学生以下のお子さんの姿は最後まで見かけませんでしたから。
(と思いきや、学校自体が30km圏内は開いていなかったようです。少し離れた臨時校舎に通っていたとか)

南相馬市役所横を抜け、市街地を通りました。開いている店もあります。けれどもマクドナルドは閉店していました。経済の象徴とも言えるマクドナルド。過去のニュースをさかのぼって調べてみたら、マクドナルド社長は「復旧しても復興が期待できない店舗は戦略的に閉める」と4月末に表明したらしく、結果、震災で影響のあった33店舗の内10数店舗を閉店したそうです。
言い方を変えれば、この閉まっているマクドナルドがある土地とは、日本の経済の視点からみて「復興が期待できない」とみなされた地域なのでしょうか。




更に進むと、国道6号線です。右折し、南下。
いわゆる日本の地方都市の国道そのもの。チェーン店舗のよく見る名前の大きな看板が立ち、広大な駐車場を抱えている。店は閉じていたり、開いていたり。ただ、開いていても、駐車している車は極端に少ないのだが。

ナビで現在地を確認。海まで、近い。気持ち的に恐る恐る車をすすめる。

南相馬の東は太平洋。ここも津波被害があった土地である。ぼくらはそこを「見に」行こうとしているわけだ。野次馬根性といえばそのとおりかもしれない。せっかくここまで来たんだったら見ておこう、という気持ちだった。ある種の観光かもしれない。

国道から道を折れると、遠くに海が見えた。近づくと、家が消え、野原になった。かつて、ここに家が立っていたであろう跡があった。家の基礎や、敷地の境界や、むき出しになって片付けられたコンクリの固まりがあった。一階だけさらわれた家があった。大方は片付いていたのだが、それ以上は何も進んでいないよう。新築の兆しは無い。流されたであろうトラックが、ナンバーを外され、空地に片付けられていた。全てが止まっていた。いや正確には、幾台かの重機が遠くで動いていた。けれど、復興に向けての力強さはあまり感じなかった…。

北を向いて写す。右手が海。正面遠くに見える緑の森は「原町火力発電所」がある。火力発電所も津波でやられた。回れ右をして、20kmちょっと南下すると「福島第一原子力発電所」がある。
ちなみに、火力発電所は「東北電力」の、原子力発電所は「東京電力」の持ち物。

海は下に見えていた。あそこから、ここまで水面が盛り上がって、人を建物を車を木を押し流した。想像するだけで足元がスースーするような気味の悪さ、恐ろしさ。YouTubeでその動画を探してみたら、南相馬の海岸の様子を撮った動画があった。あらためて見て、はんぱなく押し寄せ弾ける水の塊に驚く。こんなのが来たら、どうしようもない。為す術がなかろう。地震が来たら、逃げる。これしか解決は無かろう。
今住んでいるところは津波に縁は無いけれど、これからも国内を旅し、海沿いで地震を感じたときには、「TSUNAMI」を意識して行動したいと思った。身体にこの光景を刻んでおきたい。

海沿いを走ったあとは、また国道6号線に戻り、福島市への道を取る。
途中、道の駅・南相馬「馬追の里」に寄って、栄養補給。そしてこのような張り紙が。なるほど、あらためて放射性物質による汚染を身近に感じた。果たしてその物質を身体に取り込んでいるのかどうなのか・・・。
この道の駅は意外なほど活気があった。駐車場はいっぱいで、人が出入りしている。奇しくも、津波被害の写真展をやっていたので、覗かせてもらった。いま見てきた地域が海に飲まれている写真があった。ナマナマしい画だ。

ここに住み続けている人もいる、ここから去った人もいる。いずれもここが故郷であろう人たち。除染。汚染を除く作業。常に見えない敵と戦うかのような生活。

小さい頃の思い出の場所が海で洗われ、
小さい頃の思い出の場所へ出かけることを禁じられ、
そこに住み続けることに悩む。

外に住む人間には想像もつかないこと。

そこを離れてこっちに住みなよ、と言うことは簡単だけれど、いざ実行に移すには残すものが大きすぎる。家族がバラバラになった人がいたり、仕事を失った人もいる。自死を選んだ人がいるとも聞いた。
40年前に未来のエネルギーだと持てはやされた発電技術は、結局、多くの人間の未来を奪う結果になった。そんな技術を肯定する必要が、どこにあろう?

日本国憲法25条にはこうある。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と。
この意味を、もっと深くもっと真剣に考えてみるべきだと思う。「憲法の解釈」という誤魔化しを許さないために、将来にわたっての健康と明るい未来を描ける文化とは何かを今、考えてみる時だと思う。


さて、その館内をうろちょろ歩いていると・・・、震災後「南相馬原町第2中学校」が避難所だったらしい、その避難所も8月に閉鎖となった、その様子を記録した「原町第二中学校避難所の記録展」が「銘醸館」というところで開催されている、ということを知った。

で、行ってみた。

人間ってたくましくて、美しい生き物ですね!

書家・月下美紀(つきしたよしのり)さん。避難所にボランティアで来ていた方らしい。
この日の展覧会受付にいらっしゃった。
だいぶ高齢に見受けられるが、そんな方もこの地に来ていたのだ。自身は広島原爆で被曝した経験をもつらしい。

 

「笑顔」が次なる活動の源になること、「人との会話」が新しい発想を生むこと、小さな展示空間には避難所の活気がたくさん記録されていた。うーん、なんて言えばいいんだろうこの気持。
いかんせん、この写真展にはたくさんの「希望」があったんです!ぐるっとこのあたりを巡ってきて、最後に写真展で元気をもらっちゃいました。すごいなあ・・・。


さて、ぐるっとこの地域を一回りするドライブも、最後は福島のホテルに向かって終了です。
ふたたび飯舘を抜け、川俣を通り、福島です。
福島でも行き交う人の姿を見るかぎりはいたって「普通」です。たまにマスクをしている人もいるし、「がんばろう東北」とか書いた看板もあるけれど、なんだか日常的な光景過ぎて拍子抜けしてしまいます。

ある人から言わせれば、福島市は安全です。でも、ある人からみれば、福島市は危険です。どちらもある面では正しく、ある面では間違っているのでしょう。最後に判断するのは、その土地に住んでいる人たちです。であるからには、判断材料となる数値を正しく提供し、リスクを正しく共通認識し、それぞれに判断してもらうのが正当だと思うけれど、それがまったくできてないように思った。

たぶん、たった一日だけ福島県を訪れるくらいはどうってこと無い線量。願わくば、一度訪れて欲しいと思う(ただ、また原発が爆発したり再び地震が起こるリスクもありますので、その辺はご理解の上お出かけください)。もちろん若年者や妊婦さんにはオススメしないけれど、できる限り多くの方にいま、ここはこんなふうになっているんだ、というのをこの目で見てみて欲しいとぼくは思うに至った。地元の人は迷惑がるかもしれないけれど、関東から見ればかつてのエネルギーの源流の地でもあるわけだし、見て感じて知って、それから今使っているこのエネルギーについて思いを馳せて欲しいと思った。

ありがたいことに(←皮肉です)、このパソコンのエネルギーの供給源もおそらく原子力パワー(福井の原発起源)。選択肢が無いのは理不尽なので、今後の暮らしの中からは、この原発のエネルギーを排除していきたいと思う。オール電化などもってのほか。本当の意味で「未来」を楽しく描けるような暮らしを模索したいと強く思った。

 


以上、福島旅報告、終わりっ!

乱文失礼しました。誤字や構文の中途半端さはお許し下さい。質問・ご意見もお気軽に。

貴重な報告です! (陽) URL| 2011/10/27 05:06

興味深く読ましてもらいました。ありがとう。

原発事故以来、できる限りのリサーチはしてきました。
あくまで私見ですが、結論としては関東を含む関東から東には住むべきではないと思います。

外者だからこそ、あえていいますが、故郷への思いや生活、仕事事情などと言っているレベルの問題ではないと思います。

海外旅行に行くときにほぼ確実に海外旅行保険に入るリスク嫌いの日本人が、なぜまだ命の危険を冒してまで関東や東北で生活しているのかが同じ日本人として理解できません。

反応早くて嬉しい (野良師) URL| 2011/10/27 07:59

おお!陽くん!海外からのコメントありがとう。(そういや、いつぞやのメールの返信できてないよね・・・?こんなとこでごめんやけど)

福島原発からかなり少なく見積もっても100km程度の円内に住み続けるのはかなりリスクが多いなあと思う。可能なら200km以内の人も逃げて欲しい。住む時間を一分でも減らして欲しい。長い間低線量の被曝をするのは、どんな変化が身体に出るのかまったくの未知数です。。

住むな!と言うのは易しいけれど、将来にわたるリスクとして認識できるほど、放射線被曝について・放射性物質との付き合い方について知識が無いのが現状であるし、その数値が正しく明らかにされていないのも問題。そもそも機器を用いなければその存在を認識できないというのが、厄介なところ。

あえてココでは書かなかったけれど、この地域の農産物と海産物についても不安が大きい。こちらこそもっと細かに数値を明らかにしてほしいものだ。

それぞれの生活が (ひよこまめ) URL| 2011/10/28 23:02

お久しぶりです。
ボランティアで絵本届に福島ですか。野良師さんらしいね。

私は主人が福島なんで、何度も行ってますけれど。。。地震以降は主人だけが、一度帰ったきりです。
代わりに親戚が我が家に避難してきて、10人ほどが我が家で生活していた時期もありました。

現在は皆福島へ帰って生活しています。
家は原発から40~50㎞くらいでしょうか。
学校も一時期は外の授業、プールが無くなったり、お弁当を持っていかないといけなかったり、線量計が配られたりしたみたいですけれど、今は普段通りと言った様子。

最近では子供の甲状腺の検査が県全児童が対象となり、検査を受けているようです。
可愛そうにモルモットですよね。世界のどこにもデーターが無いのですから、格好の実験体・・・。

日記読んでて、マクドナルドが閉まってる=復興を期待できない地域というのは、言わないだけで、そうなのかも知れないなぁ・・・と私も思ってしまいました。

私も親戚の事、特に姪っ子、甥っ子達は本当心配です。出来れば名古屋に来たら良いのにとか思います。

でもね東北の人って、意外と県外に出たことのある人って少ない地域だと思うんです。

若い人ならサッと見切りをつけれる人もいるかもしれないけれど、その地しか知らない人達や、又農業等で生計を立てていて他の仕事をした事が無い人達が、他の地へ移るという事には、すごく大きな苦悩の壁があると思うんです。
(・・・それにあの事故の放射線は、もう地球を3周くらいしたという話もあるくらいですから、どこに住んでても・・・危ない!?とか思っちゃってます。)

だから放射線の問題においては、そこに住む人達には、それぞれの理由があって住んでいるという事を、私達はもっと理解しないといけないと感じます。

「言うは易し行うは難し」で、色んな考えの人達がいるから、移住したほうが良いって言うのはそれぞれだけど、当人達が移住を実行に移すのは、限りなく無理だよね。国策でもなけりゃ・・・。

目に見えない、前例がない、先が見えない・・・恐怖ですよね。
原発事故さえなければ。。。福島県民の皆の想いでしょうね。

そうなんだよね (陽) URL| 2011/10/30 07:13

過去の統計的なサンプルサイズが小さすぎる、もしくは不正確すぎて本当のリスクというのが結局、今現在ではわからないんだよね。
で、それがやっかいなことに「大丈夫かもしれないじゃん」という根拠のない楽観論の原因になってる。

生まれ育った故郷に住み続けたいと思うのは人の常だけど、それを見事に利用されているのが現状。
「そんなことを言っている場合じゃない!強制移住させます」と、本来、正しい権力というのはこういうときのために使うべきなのに。
ソ連よりも腐ってる。

僕は「やっぱいろいろと事情があるよね」という中途半端な理解と同情心はあえて持たないようにしています。
だめなものはだめ。どこに住むかは自由だけど甘えるなと、突き放します。
原発が爆発したのは東電や政府の責任。でも家族を守るのは個人の責任。
移住の問題はやはり最終的には自己判断、そして自己責任。

ところで全然関係ないけど、年末年始に帰ります。
できればゆっくり飲みたいねー。

考えさせられます (野良師) URL| 2011/11/01 12:47

>ひよこまめ
お久しぶり〜。

だんなさんが福島のご出身か・・・。そして親戚の避難。いままで福島県とはほとんど縁の無かったぼくに比べれば、もっともっと身近に今回の事件に向き合ってるんでしょうね。
考えることも広く深く。きっと、気が気でない思いがあるでしょうし、ましてや甥っ子姪っ子が福島に帰ってるとなると・・・。 

ひろーい地球規模の視点から見ると、福島も東京も名古屋も、ほんっとすぐ近く。海外の人達から見ると、日本全部危ないんじゃないか、と思われているでしょうね。逃げるところも無いような狭い日本で、いったいどんな対策が取れるというのか。

家族やムラのコミュニティがすべて崩壊しています。飯舘村に住む酪農家(現在「休業中」)のお話を読むと、そのあたりの事情が痛いほど伝わってきます。ある種の覚悟が見て取れます。幼い子どもらには「逃げろ」と言えど、自分たちはそうしない。今後何10年も住めないであろう土地に対する、捨てきれぬ愛情。
http://www.ruralnet.or.jp/gn/201109/iidatemura.htm

いっそのこと、福島を政府直轄地にして、全員強制移住!なんてことができればいいのかもしれないけど・・・。

けどね (野良師) URL| 2011/11/01 12:55

>陽くん

ひよこまめちゃんが書いててくれること、それが今の現状なんだと思う。強制的に避難させるのには、準備することが多すぎる。やっぱりそもそもこんな狭い国土で、地震の多い国に、原発はそぐわない。それに尽きる。

自己責任という意味において、「ここで死にたい」と思っているその土地のご老人たちの決断は、よくわかる。じいさんたちは自分に責任を負っていて、それが人間の強さであり、そして、弱さ。国という「理性」が、強制的に退去命令を出せるくらいに資金と信頼を獲得しているなら、そもそも、原発という利権に振り回されなかったかもしれないし。

まあ、こうやって中学校の同級生たちと、ここで議論できるのが、ぼくとしてはとても嬉しい。年末年始、また連絡取り合いましょう〜。


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